2008年10月31日金曜日

わんこのこと

友人のわんこが亡くなられた。
14歳と言うのは、人間に換算すればご長寿で、それはもう立派な大往生であるには違いないのだが、
イヤでも彼らより長生きしてしまう我々からしてみれば、なんて短命なのだろうと言うのが実感だ。

人間の時間の中で、彼等の時間が一緒に流れる。
見る景色は同じなのに、感じる季節は違うのかもしれない。

うちにもでかいわんこがいる。
今年6歳になる。
常に考えている。
この子が最後を迎える時のことをだ。
少しずつでも、覚悟を積み重ね、その日に備えようとしている。

無駄と知りながらしている。

人間、ある程度まで来ると、死と言うものにイヤでも直面せねばならない。
身近な人を見送った後、何か、変わったような気がするのだ。

死を恐れると言うのは人の、生命の本能であるが、最近はこんな風にも考える。
残す側に、悔いを残してはいかんと考える。
人間だけが、死を備えることができるのだろう。
自分の墓を用意し、葬式の手順を書き示しておく人がいる。遺言をしたためる人もいる。

覚悟は、先逝く側にこそ必要で、見送る側にせめて負担を、少しでも軽くしておこうと。
そんなことができるのは人間だけなのだろう。

何事もなければ、オイラはわんこを見送らねばならない。
ピッタリと寄り添うこのふにふにな重さも、顔中舐めてくるオッサン顔の愛嬌も、
人の口からも食い物を奪おうとしやがる意地汚さも、いずれは過去の物となる。
友人はもっと遊んでやればよかったと悔いている。
オイラも、悔いるだろう。
いっぱい悔いるのだろう。
すまなかったと、何度も思うのだろう。
これまでに二人、身近な人を見送って、どちらの場合にも同じ事を考えてしまうのだ。
仕事で半日、家に一匹で残されるわんこ。
半日は、彼等には1日以上の時間に等しい。
だからちぎれんばかりにしっぽを振って出迎える。
うれしいな、うれしいなと繰り返し。

愛犬を亡くした友人のことを思う。
涙が出る。
悔いている、その気持ちに泣けてくる。
喪失感の大きさに、泣けてくる。


そしてオイラは友人のメッセージに従おうと思うのだ。




本日から、わんこのおやつのレパートリーが一つ、増える。

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